沿革

沿革

大正11年  4月 宮崎市中村町に日州高等簿記学校を設立し、設置者田代光雄、校長に就任
〃  11年  5月 創立記念日を5月15日に制定
〃  13年  5月 宮崎市外園町(現太田四丁目栄進学院)に新校舎を建築し、移転
昭和  6年  6月 宮崎高等計理学校と校名を変更
〃  12年  4月 宮崎高等計理学校と内容を刷新して校名を改称
〃  19年  4月 太平洋戦争により男子入学停止のため、宮崎女子経理学校と改称し女子教育を行う
〃  21年  4月 終戦により男子及び女子の両部を復活し、校名も以前の宮崎高等経理学校となる
〃  27年12月 不慮の災害により校舎全焼
〃  28年  6月 宮崎高等経理学校の校舎新築落成し、内容外観とも一新し、発展の礎となる
〃  28年12月 学校法人大淀学園の許可を受け、初代理事長に田代光雄就任
〃  30年11月 宮崎県文化祭において田代光雄校長、産業教育功労者として全国産業教育振興中央会より表彰を受く
〃  37年12月 高校新校舎(宮崎市大字恒久4336)16,672㎡の買収に着手し、39年12月買収を完了
〃  39年  9月 宮崎中央高等商業学校に校名を変更
〃  40年  3月 理事長、田代光雄逝去
〃  40年  4月 宮崎市大字恒久4336の校地に新校舎1,466㎡を建築し宮崎中央高等学校を開校、商業・家政の2学科を設置し、宮崎中央高等商業学校も移転
理事長に田代耕也。校長に宇都潔就任
〃  41年  3月 第2期工事を行い商業実践教室、タイプライティング室、被服室、普通教室、管理室など856㎡落成
〃  41年  4月 新たに1,980㎡の校地を買収し、グランドの拡張を行い、建築、土木の2学科を増設し、校長に田代耕也就任
〃  41年11月 鉄筋コンクリート3階、塔屋付の本館建築に着工
〃  42年  3月 宮崎中央高等商業学校は廃校となる
〃  42年  4月 本校内に女子寮261.67㎡を新築
〃  42年  5月 更に5,600㎡の校地を買収し、グランドの整備を図る
〃  42年  6月 鉄筋コンクリート3階(一部5階)本館落成
(普通教室、音楽室、製図室、校長室、事務室、第1・2職員室、保健室、進路広報室、顧問室、放送室)総2,033㎡が完成し、内容、外観共充実した
南校舎に書道室83.7㎡を設置
〃  43年  9月 工業科実習室224㎡を新築
〃  44年  4月 武道場198㎡を設置
商業実習室37.1㎡を設置
〃  45年  4月 家政科廃止
宮崎市古城町南川内677に土地990㎡を買収。男子寮360.2㎡を新築
〃  46年  4月 土木科廃止
〃  46年  6月 図書室169.2㎡を設置
本校隣接地831.9㎡買収
〃  47年  5月 宮崎市古城町南川内677男子寮に、寮監住宅65.95㎡と付属施設59.4㎡を増設
〃  48年  4月 スクールバス運行開始(綾・野尻線、高岡線)
〃  49年  6月 武道場79.2㎡を増設
〃  50年  2月 看護管理実習室、基礎看護実習室、医療機械室、模型、標本室を設置
昭和50年  4月 理事長に田代昌稔就任
〃  50年  4月 衛生看護科(文部大臣指定)・インテリア科を設置
〃  50年  9月 衛生看護科設置に伴う本館増設工事566.32㎡(6教室)着工、12月完成
〃  51年  4月 衛生看護科定員120名文部大臣許可、スクールバス野尻線を飯野まで延長
〃  51年  7月 女子寮増設改築612㎡着工、10月竣工
〃  52年  2月 倉庫(82.5㎡)及び生徒会室(10.5㎡)計93㎡竣工
〃  52年  9月 グランド盛土工事による整備を行う
〃  53年  3月 第2女子寮424㎡新築 南校舎アルミサッシ窓に整備
〃  53年  4月 スクールバス都城線運行
〃  53年  5月 運動部専用グランド16,500㎡造成
〃  53年  6月 グランド芝植え作業を父兄、生徒、教職員一体となって行う
〃  53年11月 スクールバス西都線運行
〃  54年  3月 書道室、被服室、美術室の改装工事終了 北校舎アルミサッシ窓に整備
第3女子寮450.42㎡完成(宮崎市大字田吉349−12)
〃  55年  3月 礼法・会議室156㎡、インテリア実習室169㎡・体育部室・体育倉庫新設
〃  55年  9月 衛生看護専攻科及び食物実習室増設に伴う新館工事1,079.62㎡に着工 56年1月竣工
〃  56年  4月 衛生看護専攻科(文部大臣許可)を設置
〃  58年  1月 機械科実習室の第1期工事、原動機実習室、工具室、計499.61㎡に着工 同年3月竣工
〃  58年  3月 野球部、サッカー部の専用グランド造成工事完成
〃  58年  4月 普通科(体育専攻コース)、機械科(自動車工学コース)を設置
〃  58年11月 機械科実習室第2期工事、工作室他475.2㎡に着工 59年10月末日竣工 よって旧武道館は撤去
〃  59年12月 鉄筋コンクリート4階建東校舎(普通教室393.75㎡・医療業務科実習室90㎡・同器材室41.32㎡・他633.81㎡)計1,158.83㎡に着工
60年7月10日竣工
〃  60年  4月 医療業務科を設置
〃  60年11月 運動部寮185.92㎡竣工(宮崎市大字加江田岩山4316)
〃  60年12月 第4女子寮(谷川寮)390.59㎡を買収、改装(宮崎市谷川1丁目3−13)
〃  62年  2月 学園創立65周年、宮崎産業経営大学(法学部・経営学部)認可
4月開学(宮崎市古城町丸尾100番地)
〃  62年  4月 普通科に特別進学コース・進学コースを新設、商業科を進学コース・就職コースと専攻分類し、機械科にコンピュータ機械工学コースを新設
〃  62年  8月 鉄筋一部鉄筋コンクリート2階建記念体育館2,949㎡着工
昭和63年3月31日完成
鉄骨、鉄筋コンクリート4階建校舎869㎡着工
昭和63年3月31日完成
〃  63年  4月 英数科定員120名設置
平成元年  3月 建築科は廃科・インテリア科は募集停止
〃  元年  4月 鵬翔高等学校に校名を変更
〃  元年  4月 1学年の定員を、英数科180名・体育科80名・商業科100名・自動車工学科40名・コンピュータ機械工学科45名・医療業務科45名・衛生看護科120名・衛生看護専攻科40名とする
〃  元年11月 校長田代耕也、教育功労者として文部大臣より表彰を受く
平成  2年  3月 宮崎産業経営大学都城キャンパス建設工事着工(都城市立野3764番地1)
面積95,227㎡
〃 2年  4月 1学年の定員を英数科240名・商業科40名に変更
〃 2年  5月 理事長田代昌稔逝去、後任理事長に田代耕也就任
〃 2年12月 宮崎産業経営大学・都城キャンパス経済学部(経済学科・観光経済学科)許可
〃 3年  4月 宮崎産業経営大学・都城キャンパス経済学部(経済学科・観光経済学科)開学
〃 3年11月 大淀学園理事長田代耕也、教育功労により藍綬褒賞を受賞
〃 4年  4月 英数科定員210名に変更
〃 5年  4月 校長に厚地大司就任
〃 5年  4月 衛生看護専攻科、定員20名増員60名とする
〃 5年  4月 5号館新築工事着工
〃 6年  3月 5号館完成
〃 7年  8月 大淀学園理事長に田代知代就任
〃 8年  4月 衛生看護専攻科、定員20名増員80名とする
〃 8年  4月 体育科定員40名、医療業務科定員30名、自動車工学科定員30名、コンピュータ機械工学科定員40名に変更
〃 9年  4月 校長に渡会武徳就任
〃 9年  8月 多目的グランド・野球場・テニスコート完成
〃  10年12月 第6号館完成
〃  13年  4月 校長に山下兼紀就任
〃  14年  4月 看護科5年一貫教育へ移行
英数科にハイアドバンス、フロンティアコース設置
〃  15年  2月 1号館完成
2号館完成
〃  15年  4月 中学校開学
コンピュータ学習を中心に学科改編・新校舎建築
英数科(ハイアドバンスコース・フロンティアコース・スポーツコース)
ビジネス情報科・医療情報科・自動車工学科
コンピュータ情報科(デジタルデザインコース・デジタルテクニカルコース)
看護科、6学科に改編
〃  18年  3月 第一女子寮完成
〃  18年  4月 大淀学園理事長に大村昌弘氏就任
〃  20年  4月 特進英数科(東大医進コース・特別進学コース)
くらしの科学科(医療健康コース・商業情報コース)
システム工学科(コンピュータ機械コース・自動車工学コース)設置
英数科を総合進学コース・国際文化コース・スポーツコースの3コースに改編
校長に柳野忠昭就任
〃  23年  4月 校長に佐々木逸夫就任
〃  24年  5月 大淀学園学園長田代知代、長年にわたる教育分野への功績により旭日中綬章を叙勲
〃  25年  1月 サッカー部第91回全国高等学校サッカー選手権大会で全国制覇
〃  27年  4月 8号館、ガラス張り渡り廊下完成
〃  28年  4月 校長に川﨑基宏就任